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だるまこけし

 夜、虫や車の音を聞きながら、溜まってしまった仕事を片付けていると、本棚の隅に置くともなしに置いてあるだるまこけしに目がとまった。なんとなく手元で眺めてみる。16cmほどの背丈。青々しい髭や立派な鷲鼻、勢いのある筆遣いが武骨さを感じさせる一方で、コロっとした柔らかいフォルムやマンガのような目つきが印象的だ。

 このこけしは、小学校3、4年生くらいの頃に自分の小遣いで購入したものだ。
 東北にゆかりのある父方の祖父母と松島へ行くことになり、祖父母の家の小さな掘りごたつで、どこに寄ろう、何をしようと話していたときのことだった。旅行ガイドのお土産紹介ページの一角に、だるまこけしが載っていた。高名な瑞巌寺で売っている松島の工芸品で、開運厄除的な何かいいご利益がありうんぬんと書かれていた。しかし何よりその見た目と、首を回すとキュッキュッと澄んだ音がするのがよい手仕事の証拠、という一文に掴まれ、脊髄反射でこのだるまこけしを「ほしい!」と思ってしまったのだった。豊富なサイズ展開があり、値段も大きさに合わせて高くなっていった。自分は、小遣いの許す限り大きなものを買おうとすぐに心を決めていた。
 そんなわけで、瑞巌寺へ寄りたいと強硬に主張した。また小学校男児が何か言っているなと親も苦笑いしていたと思うが、ふだん静かでほとんど何の主張もしないわりにこうなると頑固なことは分かりきっていたので、瑞巌寺をすんなりと旅程に含めてくれた。例のページをじっくり眺めながら旅行の日を迎えた。瑞巌寺では、表情や首の鳴りなどの個体差でさんざん悩んだ挙句、少ない小遣いを目一杯はたいて今手元にあるこのだるまこけしを買った。だるまこけしを後生大事に抱える孫を見ていた祖母も、「これいいね」といちばん小さなサイズのだるまこけしを買った。

 そして月日が経ち、もう祖父母はおらず、自分も当時の父母の年齢に届きそうな大人になった。今でもだるまこけしを見ると、外付けの記憶域を読み込むようにそんなことを思い出している。もうこれと同じ見た目のだるまこけしは売っていないという。つくれる人がいないそうである。


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