遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。
正月は妻の実家に数日帰省していた。雪の心配もあり新幹線と在来線を乗り継いで行ったのだが、昔、こんな元旦前後の移動を舞台にした掌編小説を書いていたことをふと思い出した。もう5年も前、デザイナーであり画家でもあるイトウコウヘイ氏と画廊を借りて、あるひとつのテーマのもと、複数の掌編小説と抽象画をゆるやかに(挿絵-小説、絵画-キャプションといった明確な関係性を避けつつ)並べる展示を試みたのだった。その小説と絵画はまとめて簡単な冊子にして、会期中訪れた人に自由に持っていってもらえるように置いていた。
ずいぶん前のものであることや、ひとつのテーマを複数の作品で表現する連作を前提としていたこともあり、あらためていま単体で読むと思いきり手を入れたくなってしまうが、きりがないので一部言い回しや誤字・脱字のみ修正して以下に掲載したい(『ペドロ・パラモ』へのオマージュはそのまま残しておいた)。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
変身
一月一日の東京都心は、まるで疫病が蔓延しているかのように人が少なく、かれは毎年経験しているにもかかわらずその静けさにいっこうに慣れることができなかった。東北の田園地帯で生まれ育ったかれの妻も、この静けさについては同じように感じていたようだった。蛙をはじめとした虫の大音響や、家に面した道路を車がひっきりなしに走行する音などが日常に満ち溢れていたからだった。三歳になったばかりのかれの娘は、特に比べる対象をもたないために、何食わぬ顔であたりを見回したり手すりをつかんでみたりしていたのだったが、やがて大晦日の夜更かしがたたって、木材をやさしくやすりでこするような寝息を立てて母親の腕の中で眠ってしまった。
かれらは新年を妻の実家で迎えてから、昼頃の新幹線に乗って東京西部の自宅へ帰宅しているところだった。年末には足の踏み場もないほど東京駅構内にあふれていた人々が、一月一日には蜃気楼だったかのように完全に消え失せており、かれらはほとんど孤独すら感じながら東京駅構内を中央線のホームに向かって歩いていた。途中、帰宅してからの夕食にするために崎陽軒の弁当を二つと子ども用の唐揚げ入りおにぎりセットを買うことも忘れなかった。
中央線のホームにもほとんど人はおらず、車両の隅にある三人がけの席に横並びに着席することができた。やがて電車が発車し、新宿駅に近づくにしたがってどこからか人が増え、座席が埋まり、つり革などにつかまって立つ人も散見されはじめた。かれら三人は新宿駅で別の路線に乗り換える予定だったので、いよいよ次が新宿駅という頃、かれは子どもが脱いでいた靴を履かせるために席を立ち、子どもの足元にしゃがんで俯いた。
靴をほんの二十秒ほどで履かせ終わり、立ち上がると、かれの座っていた席にはすでに見知らぬ男性が座っていた。その男は、席に座っているだけでなく、親しげに妻や子に話しかけていた。背格好や印象はかれとよく似ており、非常にリラックスした雰囲気を発散していた。まるで家族と話しているようだった。そして、妻や子も、同じような雰囲気でその男に接していた。かれは棒のように立ったままその光景を無言で観察したが、どこからどうこの光景に対応すればよいのかわからなかった。あと三分足らずで新宿に到着するはずだったが、かれは脳に心臓があるのではないかとさえ思えるほど急速な脈拍と血圧の上昇を感じていた。もはや周囲はかれにとって無音、無臭に等しかった。この人、友達? かれはつとめて平静に妻に話しかけたつもりだったが、その声はイヤホンの音漏れよりもさらに小さく不明瞭だった。次の瞬間、妻は、かれのことを怪訝そうな目で見た。男も、完全に同じ目をした。かれは、自身を構成するあらゆる骨や記憶が積んだ石ころのように崩れ落ちていくのを感じた。新宿に到着すると、妻と男は子どもの手をつなぎ、ちらりとかれのほうを見て足早に電車を降りていった。明日はどうしようか、と男に向かって言う妻の声が聞こえた。かれはもう、電車のドアから足を踏み出すことができなかった。
電車を降りて、かれはいったいどこへ行けるというのか?
(イトウコウヘイ・高宮宏之 二人展「反芻している」2021/3/19-3/31@新宿眼科画廊 より)
